【独り言】心配とは、「心を配る」こと
こんにちは。
昨日は、子どもたちも早目に就寝(といっても、10時くらい)
その後、妻と久々にお酒飲みつつ、家事を進めながら話しをしました。
話しの中心は、やはり息子について。心配なことがいろいろあるようです。
勉強のこと、塾のこと、スマホゲームに夢中なこと、あまりしゃべらないこと、奇声をいきなり上げること
などなど。たくさん。
ここは、やはり男親との違いなのかもしれませんが、私はあまり心配はしていません。
というか、「心配」ってそもそも
こちらの思う相手のあるべき姿と現実のギャップを不安(不快)に思い、 相手の行動を変えさせようとする
ことではないと考えているからなのかもしれません。
心配って、文字の通り「心を配る」ことで、主語は私であって、相手に望むことではないと。
どんどん時代が変化していっている今、息子が望むイメージを、私には想像や理解できないかも知れないし、
これがあるべきとは示せないわけですし。
となると、息子が今描いている夢や希望を実現するために、私に何ができるのか?そして今やっているか?
が重要だと考えています。
息子の希望が実現するように、環境を整える。その環境を利用するかどうか?上手く活用できるか?は、息子次第。
環境の使い方について、相談あればのりますが。
「実現できるよう必要な情報を集め、必要なタイミングで利用できるように準備しておく」
これが私ができる息子への「心配」だと考えています。
この話を酔った勢いで、熱く妻に話しましたが、
妻は洗濯を干しながら
(妻)「そうそう。心配ってそうだよね~~~」
と軽いお返事。。。おそらく、明日には忘れているかと。。。
それでは、本日もよい1日を!