【考察】やるべきことの後回しについて
こんにちは。
今日で3月も終わり。時間の経つのは、本当に早いですね。
さて昨晩、仕事を終えて帰宅すると、テレビの前でゴロゴロとしている息子を発見。
今日から塾が午前中になったこともあり、いつもとペースが違っているので仕方ないかと思いつつ、
「塾の宿題はあるの?」
と聞くと、
「うん、ある。これからやる」
と。時刻は既に20時過ぎ。
これから国語の入試問題(50分)と理科の入試問題(30分)となると、やりきれないだろうなと思いつつ、様子を見ていると、やはり国語で力尽き、理科は断念ということになりました。
「やるべきことを先にやる」
「やるべきことを後回しにしてはいけない」
と息子も分かっているので、「先にやるべきことをやりなさい!」「後回しはいけない!」と言ったところで変わらないだろうなと思い
「なぜ、人はやらなければならない事でも、後回しにするのか?(できるのか?)」
その仕組みについて、朝からボーっと考えていました。
「やるべきこと」って一体何なのだろうか?と。
そして
- 絶対的に「やるべきこと」というものは存在せず、そもそも本人が「やるべき」と思ったことは後回しにはしていないのではないか?
- 「やるべき」というものは、「未来」のありたい(あるべき)状況や姿を実現したいという「願望」からくる主観的な「重みづけ」のではないか?
- 他人が「やるべき」という重みを付け、それを本人がやらないことに対して、単に感情が揺さぶられ「後回しにしている」と感じているのではないか?
との結論に辿りつきました。
親が切々と「なぜ、これを今やるべきなのか?」を説こうとしても、本人にそうなりたいという願望がなければ「やるべき」重みは変わらない。
ということは、息子が「本気でこの中学に行って、〇〇をしたい!」という願望を強めていけば、息子が考えるやるべきことも変わってくると思ったわけです。
ということで、早速、今の第一希望の中学に入って、どんなバックで行くか?服装でいくか?お弁当箱はどの程度の大きさにするか?などイメージを膨らませていこうと思います。
また、とにかく1つのことに嵌ると抜け出せないので、1時間ごとアラームを鳴らし、
①アラームがなったら時計を見て時刻を確認する
②その時点で、「やるべき」と思うことを思い浮かべる
⇒その後、「継続」という本人の判断であれば、継続も問題なし
を実行していこうと思います。
それでは、本日もよい1日を!